小田八幡宮

 

◇◆ 義経北方伝説を辿る旅路 ◇◆



小田八幡宮は、平安時代(1046~1057)に、鎮守府将軍に任命された源頼朝が現在の『陸奥国』(東北地方北部)の天下を治めるために、小田毘沙門堂として建てられ、小田山徳城寺と呼ばれていたと伝えられています。
当時は、根城の北方を鎮護する役割があったとされる。
明治時代に行われた神仏分離法により、現在の小田八幡宮に改名された。
小田八幡宮の門の建造は、弘化2年(1845)から嘉永7年(1845)の9年かけて建造され、”小田仁王門”と言われています。

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~ 毘沙門天像 ~                                                                                   この像の制作年代は不明ですが、江戸時代中期八戸の僧津要玄梁(しんようげんりょう)が、享保3年(1718)に補修した墨書が台板に残っています。 毘沙門天は、仏教界の守護神である四天王(してんのう)のうち、北方守護の多聞天の事で、根城南部氏の北方守護のため毘沙門堂(小田八幡宮)が置かれたと伝えられています。

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~ 義経堂 ~                                                                                     義経北方伝説によれば、義経が持参した毘沙門像を配った八幡宮の前に、義経が自ら小さな田を開いた事から、この地を小田(こだ)と呼ぶようになったと伝えられてます。                                                            境内には毘沙門道と義経堂がある。

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~ 小田八幡宮の文化財 ~                                                                               小田八幡宮には、仁王門・毘沙門天像のほかに、欄間(らんま)・千風庵百々評俳諧献額(せんぷうあんひゃくひゃくひょうはいかいけんがく)があります。

名称 小田八幡宮
フリガナ コダハチマングウ
住所 青森県八戸市河原木字小田18
TEL 0178-28-3007
駐車場 有り

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